12/05/2010

coconuts song

KCのブログでUAの歌う「椰子の実」を紹介していたので、
この自分たちがいつもお世話になってる海の歌のことを
よく知るためにも、この歌にまつわるストーリーを
書いておこうかと。。。





民俗学者の柳田邦男が詩人、島崎藤村に椰子の実の話をしたのは
今から112年前の1898年(明治31年)。

柳田は著書の中でこう書いている


僕が二十一の頃だつたか、まだ親が生きてゐるうちぢやなかつたかと
思ふ。少し身体を悪くして三河に行つて、渥美半島の突つ端の伊良湖
崎に一ヶ月静養してゐたことがある。
            
海岸を散歩すると、椰子の実が流れて来るのを見附けることがある。
暴風のあつた翌朝など殊にそれが多い。椰子の実と、それから藻玉
といつて、長さ一尺五寸も二尺もある大きな豆が一つの鞘に繋つて
漂着して居る。

シナ人がよく人間は指から老人になるものだといつて、指先きでい
ぢり廻して、老衰を防ぐ方法にするが、あれが藻玉の一つなわけだ。
それが伊良湖崎へ、南の海の果てから流れて来る。殊に椰子の流れ
て来るのは実に嬉しかつた。一つは壊れて流れて来たが、一つの方
はそのまま完全な姿で流れついて来た。
            
東京へ帰つてから、そのころ島崎藤村が近所に住んでたものだから、
帰つて来るなり直ぐ私はその話をした。そしたら
「君、その話を僕に呉れ給へよ、誰にも云はずに呉れ給へ」
といふことになつた。

        渥美半島


椰子の実     島 崎 藤 村


名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実ひとつ

故郷(ふるさと)の岸を離れて
汝(なれ)はそも波に幾月

舊(もと)の樹は生ひや茂れる
枝はなほ影をやなせる

われもまた渚を枕
孤身(ひとりみ)の浮寢(うきね)の旅ぞ

実をとりて胸にあつれば
新(あらた)なり流離の憂(うれひ)

海の日の沈むを見れば
激(たぎ)り落つ異郷の涙

思ひやる八重の汐々(しほじほ)
いづれの日にか国に歸らむ




しかし、そこにはもう一つの元ネタもあった

森鷗外がドイツの詩人カール・ボエルマンの詩を翻訳した漢詩

「思郷」

離郷遠寓椰樹国   (郷を離れて遠く椰樹(やじゅ)の国に寓(やど)る)
独有潮声似窮北   (独り潮声の窮北に似たる有り)
思郷念或熾     (思郷の念或ひは熾(おこ)り)
即走海之浜     (即ち海の浜に走る)
聴此熟耳響     (此の耳に熟(な)れし響を聴き)
欝懐得少伸     (欝懐少しく伸ぶることを得たり)




この二つがブレンドされて「椰子の実」ができた

よく詩を観察してみると、前半は椰子の実そのものについて語られ

中盤の「われもまた渚を枕、孤身(ひとりみ)の浮寢(うきね)の旅ぞ」で

主人公を椰子の実に投影し、後半の故郷を思う気持ちの表現へと繋げている


深いですな。。。





しかし、100年も経つとかなり日本語も変わってしまうものだな
とつくづく思った。。。

3 件のコメント:

OM さんのコメント...

本、借りっ放しです。すいません・・

kubochin さんのコメント...

ほんと、凄い日本語の変わりよう。
でもこのビミョーに分からない日本語で
常の乏しい想像力が広がって
なんだか余計、心に響きます。

そんな海を感じながら日々過ごせる事に感謝。

R さんのコメント...

OMくん
いえいえ、いつでもいいんで
ゆっくり読んでください。

kubochin
昔の言葉の方が、なんか魅力的な部分も
あると思うね。いろんな表現があってさ。

昔はもっとすばらしい海だったのかな、、、
なんて想像するとちょっとうらやましいね。